高島 ふさ子 (尼崎市に平和無防備条例をめざす会事務局長) 委員の皆さんおはようございます。私は武庫元町の高島です。「尼崎市に平和無防備条例をめざす会」の事務局長をしています。本日は陳述の機会をいただき感謝します。
私のほうからは「尼崎市を非戦の街に」市民平和条例の提案趣旨を述べます。
4月25日~5月25日にわたり直接請求署名を実施し地方自治法第74条第1項に則り15632筆の署名を提出いたしました。これは有権者の25分の1が署名しています。有効数は13913筆でした。
条例案前文にあるように「戦争につながるものを拒否し、恒久的な平和のために不断に努力する決意の証」として条例案を提出しています。目的は憲法の平和主義の理念を実現し、尼崎市の「世界平和都市宣言」「核兵器廃絶平和都市宣言」(世界の恒久平和を願い、核兵器の廃絶を訴える)を具体化するものです。
この条例案には2本の柱があります。ひとつは平時から、平和な街づくりを進めることです。市の努力として平和外交をすすめ、関係諸国、機関へ働きかけることをあげています。第7条では平和施策を実施するために「平和の街づくり基本計画」の作成と推進委員会の設置を提案をしています。もうひとつは、尼崎市国民保護計画にはこうかかれていますが「平和への努力を重ねてもなお武力攻撃などが発生したときに」つまりあってはならないことですが、武力攻撃が差し迫ったときに一般市民の命を守るためにどうするか、それがジュネーブ条約にもとづく無防備地域宣言等の第6条の後半です。ジュネーブ条約追加議定書は戦火によって多くの一般市民の命が奪われた第2次世界大戦、近年ではベトナム戦争の教訓から生まれ、命をまもるために平時からの徹底的な軍民分離(文民たる住民および民用物と軍事目標や戦闘員を分離すること)を原則としています。この精神を取り入れて街づくりをすることが市民の生命財産を守るために有効であると考えました。国際法を遵守する義務は憲法98条に定められています。武力攻撃事態法、国民保護法にも明記されています。日本は2004年に批准したので、国は国内法を国際条約にあったものに整備をする義務があります。尼崎市が本条例を制定すれば地方から国際法遵守の強力な発信となります。また「戦争につながるものを持ち込まないでほしい」という市民の願いに沿うものです。
第3条で市民の基本的人権の尊重と平和的生存権の保護を市の責務としてうたっています。(これは有事においてもです)
議員のみなさまへの要望ですが、ぜひ本直接請求をきっかけに「武力攻撃事態」となった時、尼崎市が地方自治体として市民の生命、財産を守るために独自でなにができるのかご議論いただきたいと思います。
署名期間中に寄せられた市民の声は尼崎市の平和都市宣言を日常的に具体化する条例は必要だ、というものでした。今日、有事立法の成立やイラクへの自衛隊派遣、恒久派兵法も検討されています。「子や孫には戦争のない世界を手渡したい」という市民の切実な願いを感じました。尼崎市が勇気を持って条例を制定すれば、平和な街づくりへ市民の積極的な意欲を引き出し、平和ですみよい尼崎市を作る大きな一歩になります。多額の予算を必要とするものではありません。市民が支え、協力はおしみません。
なにぶん市民発の条例案ですので条例としての不備な点、細部における未完成の点が多々あるかと思いますが、市民からの平和な街づくりのビジョンを汲み取って、徹底審議をお願いする次第です。
これで終わります。
宮城 正雄(沖縄県人会兵庫県本部相談役) 宮城正雄でございます。私は昭和2年沖縄で生まれ現在81歳です。
昭和18年3月、16歳のとき、滋賀県大津市の軍需工場に働くため沖縄を出ました。当時沖縄には日本の軍隊の姿はなく平和な島でした。まさか2年後にあの地獄のような地上戦が繰り広げられるとは思いもよりませんでした。私の母は米兵の銃に撃たれ即死、小学校の男子同期生36人も郷土防衛隊となり18歳の若さで全員戦死しました。
語りたいことは多くありますが時間が限られていますので、一点だけ申しあげます。それは地上戦当時の島田叡沖縄県知事のことであります。
島田さんは神戸2中、現在の兵庫高校のご出身で東京大学を出られて、大阪府の内政部長であられた昭和20年1月に沖縄県知事を任命されたのです。その前年の昭和19年10月10日、那覇市は米軍の大空襲で、爆撃は朝の7時から午後の4時まで9時間におよび、延べ900機の爆撃機で那覇市は全滅しました。県庁も爆破され壕の中で脅えていた当時の泉知事は東京出張と称し軍用機で東京に逃げてしまい、沖縄には戻って来ませんでした。その結果沖縄県は3ケ月間知事不在となったのです。
戦火の沖縄県知事に赴任することは死にに行くことであり、島田家では美喜子夫人をはじめご家族の皆が大反対でしたが、島田さんは私がいかなければ誰かが行かねばならないのだと1月13日に沖縄県知事に赴任されました。島田知事は明日の命の保証のない県民を哀れみ、数々の愛の手を差しのべられました。そして同年5月1日本軍が各部隊を召集して最後の作戦会議が開かれた時、島田知事はオブザーバーとして出席されて、軍民分離を提議、住民を知念半島に移しそこを無防備地帯にすることを米軍に通達するよう要望されたそうですが、軍は聞き入れず、あくまで本土決戦を遅らせる作戦で住民をまきこんだ地上戦となったのです。
戦争にも多少のルールがあると思います、非戦闘員である住民を殺傷してはならないということです。もし日本軍が聞き入れてこの軍民分離が提案されていたなら、県民の犠牲者、4人に1人が死んだ残酷な結果にはならなかったと思います。
最後に私はこの平和運動が全国に広がり徴兵制度の復活を阻止することにつながれば思っております。
中村 大蔵(特別養護老人ホーム・園田苑施設長)1.条例制定請求運動は市民による市民主体の平和な街作りの一環です。
戦争を願う市民はまずいないでしよう。しかし過去の歴史を繙けば、戦争、戦乱のなかった世紀はありません。それどころか、地球上には今なお戦争が続いています。
戦闘勃発は、ある日、突然の砲撃から始まりますが、戦争はそのはるか以前から準備されます。そして、それは市民がいつもと変わりない日常生活を送っている時なのです。そして,わが身に火の粉が降りかかった時にはもう、歯止めの効かない状態に陥っていることは歴史の示すところです。
私たちは、1945年の敗戦、終戦に至るまで国内外に甚大な被害と、膨大な生命の犠牲をもたらしてきたかは記憶になお新しいものがあります。
その結果と反省から、私たちは平和憲法と称される現憲法を実現させただけでなく、地方自治、地方分権という成果を手に入れることが出来たのです。
地方分権とは即ち地方主権です。地方主権とは当該地域のありようは、先ずそこの地域住民の選択と決定に委ねることです。
現憲法が世界に誇り得るものに、戦争放棄を謳った第9条は夙に有名ですが、これは「韓国9条の会」が生まれたように全世界に敷衍し得る内容を持っています。さらに、旧憲法に比して燦然と輝いているのは、前文で高らかに謳った主権在民、そして第25条の生存権とともに、第92条地方自治の基本原則です。
戦前には地方自治権はなく、かろうじてその片鱗は大きな制限がついた地方議会への選挙権でした。県知事は内務省の任命であり、市長も内務大臣の勅裁を経なければならず、県知事には解職する権限が付与されていました。
戦後は、知事、市長も直接住民の投票で選ばれることになりました。このことは、知事並びに市長は、政府を輔弼し中央集権の末端を担うものではなく、何よりも当該地域の住民に責任を負うことを第一義とするものです。即ち、地方自治(地方主権)あっての国家なのです。
2.今回の市民平和条例直接請求運動は、市民自治の具体的発露です。
今条例の内容が国との関係において実効性がないとの意見がありますが、これは戦後の地方自治の本旨にもとる見解だと思います。
国の制約の中で、いかにして当該自治体住民の健康、安全な生活を守るかは、自治体の長が常に腐心しなければならないことです。
かつて、横浜市長が市条例を盾にベトナム戦争で使われている米軍戦車の通行を許可しなかったことは、先ず何よりも市民の安寧を図るのが自治体の長たる任務であることを知らしめました。
結果として、政府の米軍援助政策のもとで通行を認めざるを得なかったとはいえ、地方自治権のあるべき姿を明らかにしたものでした。
岩国市や沖縄にみられるように、国の強権的政治のもとで一地方自治体の自治権が制約、蹂躙されようとも、国に先んじて各自治条例を策定することは、何ら国独自の権限を侵すものではありません。否、むしろ、国の現行制度より進んだもの、あるいは現行法に内包されないものに地方自治体が取り組むことは、地方自治体の光輝ある任務だと思います。
3.市民平和条例は尼崎市世界平和都市宣言をさらに内実化させるものです。
市民平和条例は、尼崎市の世界平和都市宣言をふまえ、行政と市民とが名実ともに協働して、「平和都市宣言の内容を高め、さらに平和を希求する市民主体のまちづくり、さらには国際交流を豊かに前進させることにつながるものと確信します。
国権から自立した地域主権は、市民と自治体の不断の努力なくしては存立しないことを最後に申し述べます。
原田 昇(保育園父母の会元会長) 原田昇でございます。請求代表者の一人として意見陳述を始める前に一言申しあげたい事がございます。
今回、尼崎市において初めて直接請求という形で条例制定要求を行いました。私達はこの間、4月25日から1ヶ月、尼崎市役所の横をスタートに、市内各ターミナルやスーパーマーケット前などで多くの市民に訴え、署名活動を行ってきました。戦争体験のある年配の方からは「空襲で焼かれなにもかも失った、あんなつらいことはない」と体験を語られたり、また、保育園では若いお母さんたちが、「子どもたちを戦争にいかせたくない」と署名をしてくださいました。また、有効署名とはなりえないとわかっているにもかかわらず、「尼崎市民やから」と未成年の方、在日等外国人の方など多くの方々から署名ご支援をいただきました。結果、法定数の2倍を上回る15、632筆の署名が集まり、本市議会に直接審議を請求することとなりました。
そのような多くの市民に支援された直接請求にもかかわらず、白井市長は、署名に対しその重みを尊重されず、平和の願いをうけとめる言葉もなく、いわば切り捨てるような意見書を書かれたことに強い憤りを感じております。
全国において、東京国立市、大阪府箕面市に次ぐ3番目の平和条例に賛成する市長になっていただきたかったという願いはもちろんありましたが、たとえ賛成ではなくても、せめて請求代表者の声を直接一度は聞いた上で意見書を書いていただきたかった、署名にこめられた市民の切実な声を聞いていただきたかった、と無念です。再三の面談してほしいとの要望に応えられませんでしたが、市民の意見を聞く姿勢がないのかと疑わざるを得ません。断固抗議いたします。さらに、本会議で審議するのではなく、委員会に付託されたことについても、直接請求の重みを受け止めていただいてないと、非常に残念に思います。
その一方で、議員の方からは勉強会を持ち検討しようという呼びかけがあり、さらに総務消防委員会において、参考人招致という形で徹底審議を全会一致で決定していただいた事に対し深く感謝申し上げます。しかしながら、一人10分の意見陳述を要望したにもかかわらず、5人で30分以内、一人当たり6分以内と時間短縮制限をされました。尼崎市において初めて直接請求が有効になされたにもかかわらず市民の声や要求を無視した扱いであり、今後の直接請求に対し、悪しき前例にならなければよいと危惧しております。
私の持ち時間も後わずかとなってしまいました。取り急ぎこの平和条例制定への思いを簡単に申し上げたいと思います。
私は結婚を機に大阪からこの尼崎へ転居し、以来27年余り、園田の地に居住しております。この間、共働き夫婦として3人の子どもを育ててきました。0歳児保育に始まり、公立保育所、学童ホームとお世話になり、その間よりよい保育を求める運動にも参加してまいりました。尼崎市は、子どもを育てる上で、市と市民が協力して運動をつくっており、良い保育、教育をめざしてきたと思います。子どもがすくすく育つ地域は、何より平和を前提にしています。安心して子育てできたのも、この尼崎市が安全、安心な住みよい町であったからだと思っております。
ところが、戦後も63年たち、平和を守ってきた日本が、戦争しない国から、「普通」の国、戦争のできる国にかたちをかえていく動きが明らかに加速されているように思われます。即ち、先の太平洋戦争の惨禍が2度と起こることのないようにとの決意のもと、自由と平和を守るため基本的人権を尊重、戦争を放棄し、国民主権を採用した『日本国憲法』を制定したにもかかわらず、その憲法を改正するための国民投票法が昨年成立しました。
このような動きの中、尼崎市民の安全安心を守る責務、即ち責任と義務ある尼崎市長こそが先頭に立ち、この平和条例を徹底審議し、成立可決させていただきたいと思います。戦争になったら、死ぬのは市民です。20世紀以降、戦死者の9割は兵隊ではなく一般市民です。市民が犠牲を強いられるのです。尼崎市はどうやって市民を守ろうとしているのか、市として何ができるのか、この平和条例を徹底審議し、成立可決させて頂きたいと思います。
以上をもちまして私の意見陳述とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
近藤伸一 (尼崎市に平和無防備条例をめざす会代表) 請求代表者で潮江に住んでいる近藤と申します。この30年間ほどは尼崎の民間会社で働き、先日定年退職しました。私たちの時代はとにかく子供が多く、小学校・中学校では55人定員の学級や、低学年では教室が足りなくて午前と午後の二部授業なんかも行われていました。その後潮小学校や大成中学校の新設、開校がはかられました。
産業の方は経済成長の流れに乗り南部の重化学工業の再建や大型道路の整備が進みましたが、一方では大気汚染による公害も深刻化しました。尼崎に長年暮らし社会や環境の変化を感じてきましたが、幸いにも「戦争」を身近に感じることはありませんでした。
ところが、ここ数年国内外を取り巻く急激な変化をみていると「今何かしなければ」と思うようになりました。それは今回の署名に協力いただいた方の「戦争は絶対にアカンで」「年金や医療、ワーキングプアなど政治も社会もめちゃくちゃや」といった声とも共通しているものだと思います。平和憲法を有する国で自衛隊が戦地に駐屯するという実績までつくり、現在もなおインド洋での給油やイラクへの兵員輸送を続けています。国内に目を向けると周辺事態法・武力攻撃事態法そして平時にも関わる国民保護法など有事立法体制が一挙につくられたのです。国民保護計画では、指定公共機関への指揮・統制、自衛隊による避難誘導、自主防災組織作りなど「国民保護」に名を借りた国民総動員体制が狙われているのです。昨年3月に作られた尼崎市の国民保護計画について市の防災対策課の方に伺ったところ「どんな事態を想定し、どんな訓練をするかなどは決まっていない」「自衛隊の活用については議論がなかった」など、結局「国が作成を義務づけたから作成した」以上の意味は見いだせません。
次に市民平和条例の積極性を3点述べます。
まず第一に条例案6条に関わる「軍民分離の原則」を平時から作り出し、自衛隊を尼崎の国民保護協議会に参加させず、住民の避難誘導にも関わらせない事です。他の請求代表者の陳述にもあったとおり、間違っても「軍隊が住民を守る」などと思わないことです。隣の西宮市では「自衛隊による避難誘導は要請しないこともある」と計画に盛り込まれ、軍民分離の貴重な一歩になると思われます。ところが尼崎の市長意見書では国際人道法の無理解か、尼崎が戦場になることを回避する努力など全く検討せず、自衛隊による避難誘導を決めており、これでは住民を戦争に巻き込む危険性が増大するのは明らかだと思います。
第二に市長意見書の「国の見解によれば」とか「軍事外交は国の権限であるから」という点についてです。8月の初旬に前岩国市長の井原さんのお話を聞く機会がありました。「基地機能強化に住民投票で89%が反対したにもかかわらず、国は米軍移転についての市との事前協議もせず、補助金カットや選挙への圧力で締め上げられた」「安全保障に関する明確な理念・米軍再編の必要性に関する合理的な説明なくして一方的に市民に押しつけるやり方は到底納得できない」と結ばれています。市民の生命や財産を守るために市としての積極的要求をすることは当然だと思います。この条例案も国の見解や法律とぶつかるところが有るかもしれませんが、憲法に照らしてどうなのかという視点で考えることが最も重要ではないでしょうか。
第三に尼崎の平和施策を一層進めるために述べます。尼崎は核兵器廃絶平和都市宣言を行い、啓蒙や交流を図っていますが、現状では「宣言」はしているが市民には見えにくく幅広い平和行政を展開する上での予算措置が不十分ではないかと思われます。兵庫県には非核神戸方式など先進的な取り組みも有ります。尼崎港への艦船入港や伊丹の自衛隊部隊の尼崎市内通過の規制など市で考えられる施策も多いのではと思います。また広島・長崎・沖縄の諸都市との連帯交流を進める事で核兵器廃絶と軍縮・非武装の実現に向けた一歩を踏み出す事にも繋がると思います。
以上、御検討のほどよろしくお願いしまして陳述を終わります。